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思考塾 -創造力育成通信教育学習塾- 

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現実の学習の実態

新たな価値創造で認められ、求められる人へ 真の成長と育成は思考塾が担います

 別項でも述べている通り、現代の学校教育の向いている方向、親が期待している方向は建前はどうであれ受験であり、結局のところテクニックと記憶に重心を置いたものであることは周知の事実である。確かに受験の内容はそれまでの学校教育の範囲、すなわち、学習指導要領によって選択されたものではある。したがって、学習の範囲は指導要領に則って自分たちが決めたものではあるが、その教育の方針と言えるものは受験に束縛されているという複雑な状況を生んでいる。 

 このような背景のもと、その原因や発端は相互的であるとしても、結果として学校教育の実態が記憶中心であり、パズル的当てはめ学習になってしまっているのは事実である。学校等で行われるテストの問題を見ると明らかなように、答え(記憶対象)有りきで、考えたり考察したりということは基本的になく、キーワードを埋めていくスタイルが基本である。国語でさえ、本文中から該当部分を探し出して書き写す程度である。受験問題も基本的には同じことであり、このような教育内容に合わせれば当然同じような形式にならざるを得ないという背景もある。もちろん、それだけではなく、別項でも述べている通り採点側の都合も大きな要素である。現状においては、逆にそういう受験スタイルが確立されてしまったからこそ、授業もそちらに寄っていくという負のスパイラルを生んでいる。そして、これと同様のことは学校のみならず、当然ながら塾においても起きている。しかも、受験対応を前面に出し、自らをそのための存在と位置づけている塾においては、学校以上にその影響が大きいことになる。

 典型的な受験対応になってしまう代表的な学習内容を例にして、その実態と本来はどのような意味付けで学ぶべきであるかについて考える。

 まず、漢字の書き取りについて考える。漢字の書き取りは、多くの人が一度は悩まされたであろう学習内容である。一般的には、繰り返し書くという反復学習による記憶定着という方法が取られている。しかし、受験が終わり大学に入った以降、急激に漢字が書けなくなるという経験は誰もがしていることである。これは、漢字をそれ自体、単体として学習していること、そして、フォロー学習不足の弊害であると言える。

現実の学習では、ただひたすら機械的に体で覚えるに近い学習となっている。もちろん、一つの学習、習得の方法として相応に効果のあるものとは言える。しかし、それでは興味、すなわち、モチベーションを持って学習することは至難の業である。例えば、テレビのバラエティー番組で漢字の成り立ちをクイズ形式で出すものを見たときに、特に努力することなくその漢字が記憶に定着し、その意味すら理解できたことはないだろうか。これは、繰り返しの機械的パターン学習ではなく、その意味や成り立ちなどの関連情報も含めた「流れ」として認知しているからである。漢字に限らず、現在の学習ではこのような情報や知識を点として記憶する方法であるために定着せず、使いこなせない状況になってしまうのである。

 そして、もう一つの問題であるフォロー学習の不足は、知識の定着には致命的なことである。人の記憶は時間の経過とともに薄れ、消えていく。これを防ぐことが継続的な記憶の使用である。すなわち、漢字について言えば、学習した漢字を使う機会を与えることが必要不可欠なのである。しかし、現実の学習の中では文章を書くということ自体が少ないために、せっかく獲得した漢字という知識を有効に活用することができず、かつ、記憶への定着もできないのである。

 また、社会科の歴史における年号や、地理における地図や生産順位なども苦労させられた経験を持っているはずである。かろうじて、地図、すなわち、地理的位置関係については、常識的なものとしてある程度の許容はできるかもしれない。しかし、当時も、そして、今になってもこれらを覚えることにどれほどの意味があるのだろうかという疑問は持っている人がほとんどであろう。

例えば、歴史という学問を見たとき、年号自体に大きな意味はないといえる。それよりも重要なことは、その歴史的事象がその時に起きるに至った背景や流れ、なぜその時に起きたのかということが真に歴史として意味があり、重要なことなのである。そして、年号ではなく、その歴史的事象が起きたときの状況をイメージできることの方が価値が高いといえる。歴史とは過去に学び、その前例を活用するために学ぶものである。

 同様に、地理についても、場所を覚えることに意味が無いわけではないが、そこで終わってしまっては十分とは言えない。重要なことは、なぜその場所にその国が成立したのか、どのような特色や問題、歴史があるのかが重要なのである。そういった意味で、歴史と地理が社会科というグループにまとめられているのである。そして、生産順位についても、順位そのものではなく、なぜその生産量等が多いのかということに本来の意味がある。

 このような国語における漢字や社会における地理や歴史のような一般に記憶系と考えられているもの以外、例えば、数学においても、数式や定理を覚えるだけになってしまっており、これでは面白みは何も無く、当然ながらモチベーションが生まれるはずもない。何の役に立つのか、何に使うのかといったことも含めて、学ぶうれしさや意味、楽しさを示す必要がある。

 そして、数学以上に本来記憶の学問ではないはずの理科、科学までもが記憶主体となってしまっている。科学とは、驚きや不思議から始まる学問であり、そこから、面白さ、楽しさが生まれて、学ぶモチベーションに繋がっていくのである。しかし、実際には科学とは縁の無い世界で育った人間が教科書と指導要領に頼って授業するために、根本的な部分を記憶学習に頼ってしまっているのである。本来は、意味と流れを理解することこそ重要なのである。

 さて、このような記憶主体の学習の中で、学校教育はもちろん、有名な大手学習塾でも採用されているのが反復学習である。確かに、記憶のためには反復学習は有効な手段であり、否定されるべきものではない。しかし、この反復学習には大きな落とし穴があることは予想以上に知られていない。それは、繰り返すことによるパターン記憶になってしまい、それを理解したと勘違いしてしまうことである。

 例えば、数学において繰り返し数字が異なるだけのような問題を解いていると、極端な場合、問題に出てきた数字を一定の順番で一定の計算順で計算するという行為になってしまう。これは、単純な計算問題に限らず、文章題であっても、割り算の範囲であれば、大きい数字を小さい数字で割るというような機械的なパターンに当てはめてしまうことである。このような流れで学習を進めていくと、理解度判定問題においても同様のパターンで回答できてしまうことがほとんどである。そして、本人も教えている側も問題に正解することで理解できたと勘違いしてしまうのである。しかし、これでは本当の意味での理解をした、ということにならないことは明白である。ごく一部には、繰り返しの中で自分のイメージを構築して真の理解に達する子供いるが、これはレアケースである。

 どうしても、受験という大きな目的がある限りは、その範囲の中で反復と記憶主体になってしまうのは避けられないことかもしれない。もちろん、思考力に代表される真の学習を行うためには、このような記憶による知識の習得も必要な要素の一つではある。しかし、現在のようにそこで学習が終わってしまっては宝の持ち腐れになってしまうのである。

 現実には、実社会で必要とされる情報の中で、記憶していなければならないことはそれほど多くない。また、そのような記憶すべきことは日常的に使用する必要があることから、その日常的繰り返し中で自然に知識として習得し、定着できるのである。また、目的を持った知識でなければ、漠然と記憶しているだけで、そこに関連性や流れは生まれず努力に見合う価値は期待できない。言い換えるなら、残念ながら現状教育、学習は実社会と直接的にリンクしていない。例えば、情報について言えば、もちろん記憶しているに越したことはないが、実社会ではそこに大きな時間とコストを割くよりも、その必要な情報を必要なときにいつでもすぐに引き出せる状態にしていることの方が有効である(詳細は別項を参照されたい)。それよりも、そういった情報や知識を活用して創造することが求められる。

 このように、現在の学習と教育の実態は、必要条件の一つを満たしてはいるが、決して十分なものではないということを認識しておく必要がある。そして、そのような実態であるからこそ、足りない部分の補足をしていくことを考えていかなければならないのである。

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